レファレンス協同データベース
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【調査プロセス】
①神奈川大学貴重書目録『古典逍遥』に以下の記述があるので、まずはそこから一部を抜粋する。
(前後のテキストは備考欄参照のこと)。
「ペリーは日本遠征に出発する前からその記録を、科学、文化、外交などあらゆる分野を盛り込んで後世に残しておきたいと考えていた。そこで1回目の日本遠征から帰国の途中イギリスのリヴァプールに寄港し、当時ここでアメリカ領事をしていた「緋文字」の作者ナサニル・ホーソンを訪問し、執筆を依頼した。しかし、ホーソンは公務多忙を理由に辞退し、代わりに「白鯨」で有名なハーマン・メルヴィルや幾人かの文学者の名前をあげたが、いずれもペリーの気に入らなかったという。
②さて、ペリーがメルヴィルや文学者等の乗船を認めなかった理由が気になるが、理由の一つとして、大江志乃夫著『ペリー艦隊大航海記』(朝日文庫) に以下の記述がある。
「『遠征記』はいくつかの特徴をもっている。第一の特徴は、それは海軍長官をつうじて議会に提出された公式報告書を、合衆国議会両院の議決にもとづき、両院の指揮下で印刷した公式文章である、という点である。第二の特徴は、ペリーが、この種の大航海につきもののプロフェッショナルな旅行家・文筆家・自然科学や人文科学の各専門分野に属する科学者の乗船を、一人の例外を除いて拒否したことである。
ペリーは日本の開国という任務の達成を重視した結果、海軍の軍紀に服する法的義務を課せられていない者が同行することを拒否した。しかし、当時の海軍士官たちはすぐれた自然および社会観察者の集団であり、画家・科学者・として通用する者も少なくなかった。ペリーは部下の士官たちにその特技や得意とする分野の知識を生かして報告を作成するように命じた(以下略)」
③光栄教育文化研究所『ペリー艦隊日本遠征記』の第一巻日本語版序には以下のように記述されている。
「この理想の報告書を誰に書いてもらうか。任務を終えて帰国する途中、ペリーはイギリスに寄港してリバプールの領事を勤めていた「緋文字」の作家ホーソ−ンに執筆を依頼し、またアメリカで『白鯨』の作者のメルヴィルにも要請しようと考えた。これらの作家たちは、さまざまな事情で実現にいたらず、最後に歴史家ホークスが編集・執筆を承諾した(S.E.モリソン/後藤優抄訳『ペリーと日本』1968年)
④横浜開港資料館『ペリー来航関係資料図録』
この図録中の「日本の開国を求めるアメリカの声」という部分で、メルヴィルの『白鯨』が紹介されており、「捕鯨業が世界文明に果たした貢献を讃え、捕鯨船こそ、世界のもっとも遠い道の領域に分け入り、宣教と貿易の道を開いた偉大な先駆である」との説明を加え、『白鯨』の中から次の文章を抜粋している。
「幾重にも閉された国の日本が外人をむかえることがあり得るとすれば、その功名を負うべきものは捕鯨船のほかにはない」(『白鯨』第二十四章、阿部知二訳)
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